2007年10月23日 の出来事 |
長い一日 -ルンビニ→バイラワ→スノウリ→ゴラクプル-
早朝6時、扉を叩く音で目が覚めた。
朝食の時間ということで、僧侶がわざわざ伝えにきてくれたようだ。
軽く顔を洗って外へ出ると、かなり濃い霧があたりを包んでいた。霧の中にぼんやりと浮かび上がるお寺、なかなか幻想的な光景だ。

食事はセルフサービス式の給食みたいな感じだった。韓国寺だけあってキムチもついているが、どこかやはり南アジア風のメニューだ。
素手でまぜまぜして食べている人も見かける。
しかししかし、味はなかなか美味しい。こんな飯をタダで食わせてくれるとは、ありがたや。
腹いっぱい食べた後、外に元気に出かける初老のマジマさんを尻目に、若い我々二人はしばらく睡眠。。
9時頃に気持ちよく目覚めた後、外へと繰り出す。
それにしても、ここは静かでほんとノンビリしたところだ。
建物といえば寺しかないし、未整備のデコボコ道の脇に牛たちが横たわり、草をついばむ。車もまったくといっていいほど通らないし、お店らしきものも見当たらない。

こんな静かな感じもまた別の味があっていいものだと感じた。
きっと、ここは本当に修行をしたりする僧たちが来るような場所なのだろうなあ。
そんな静かな道を20分ほど歩くと、釈迦が生まれたといわれる地にたどり着いた。
中に入ると"The Exact Birth Place of Buddha"と書かれた石が置いてあった。

釈迦が世界史上で、最も影響力のあった人物の一人であることは間違いない。
彼がいなければ、仏教というものは現在のような存在ではなかっただろうし、数々の仏教国家も仏教芸術も形を成していなかっただろう。日本の文化や歴史も全く違ったものになっていたと思う。
そういう人物が、あるときこの静まり返ったルンビニの地で初めて歴史に顔を現したのだ。
そう考えると、その生誕の瞬間というのは、ものすごく神秘的なものだったろうと思わずにはいられなかった。
釈迦は生まれたとき、一手を天に一手を地に指しながら「天上天下唯我独尊」と唱えたといわれる。
それだけの人物が生まれた瞬間なのだから、こうした奇跡が起きてもおかしくないかもなあと感じた。
近辺を一通り見て周ってから、昼食の時間にあわせて韓国寺へ戻る。
やはり美味しい精進料理。もう1泊ぐらいしたいところだが、カトマンズ、ポカラとゆっくりしすぎたので、先を急がねばと思い、後ろ髪を引かれる思いで韓国寺をあとにした。

昨日と逆のルートでバイラワまで戻る。
今回は屋根の上に乗ることなく普通に車内に入れた。で、何事もなく普通にバイラワに到着。
今日は、ここバイラワから数キロ離れた国境の町スノウリへ行き、そこでネパールを出国してインドに入国、インド最初の目的地ブッダ・ガヤーを目指して進むつもりだ。
バイラワでバスを降りると、近くにスノウリ行きのバスが停まっていた。ラッキー!
とりあえず乗り込もうとすると、荷物を自分で屋根の上に載せろと言われる。
これまでは、けっこう乗務員が載せてくれたのだが、ここはセルフサービスのようだ。インドに近いからだろうか。
まあしょうがないということで、嫁の荷物も一緒に持って、一人で屋根の上にのぼる。
荷物を屋根の上にセットして、さあ下に降りて車内に乗り込もうと思ってたら、急にバスが動き出した。
あれれ・・・。
しょうがないので、そのまま上に乗ってスノウリまで行くことに。
屋根の上は、昨日ほどの新鮮さはなかったものの、やはり風が心地よくてなかなかのものだった。
顔はちょっと砂まみれになったけど。。

無事に国境の町スノウリにバスは到着。
バスの乗務員のごとく、他の人の荷物も屋根の上から下ろしてあげる。我ながらいい仕事ぶりだ。
バスを降りて100メートルぐらい歩くと、国境のゲートが見えてきた。国境というよりも、ただの門みたいな感じだけど。
ネパール人、インド人は、パスポートチェック無しで国境を行き来できるらしいので、まあ納得できないこともないが、それにしてもあまりにボーダーレス・・・。

ネパール側のイミグレで出国手続きをした後、その門みたいなやつをくぐり、インド側へ入った。
が、100メートルぐらい歩いてもインド側のイミグレが見つからない。
おかしいなあと思ってキョロキョロしてたら、もう少し先のほうに、小さな文字で"INDIA IMIGRATION"と書かれた建物を発見した。
見落としてしまってもおかしくないぐらいのコジンマリとしたイミグレ。
まるで、商店街のクジ引き会場のようなそんなイミグレで、ラフな格好をした単なる近所のオジサンみたいなヤツが、パコーンといい音をたてながらスタンプを押してくれた。

これで、晴れてインド入国。おめでとう!
今からさかのぼること七年前、二回目の海外旅行で僕はインドに入り、二週間ほどかけてコルカタ、ブッダ・ガヤー、バラナシを回った。そして思った。
もうこんなヒドイ国はイヤだ、二度と来たくない・・・。
二週間の間で、あらゆるものが強烈で危険なものに感じ、あらゆるインド人が信用できなくなっていた当時の僕は、心の底からインドがイヤになっていた。
大きな被害も無く五体満足で無事に出国できたときは、飛行機の中で友人と一緒に拍手したほどだ。
それから七年、いくつかの旅を重ねて僕も旅慣れてきたはず。無事に楽しく元気にインドの旅を満喫できるといいなあ。
自分を試す意味でも、これからのインド生活楽しみだ。
さて、これからブッダ・ガヤーを目指すわけだが、色々とこれまで聞いた話を総合すると、距離的に見てとりあえずはゴラクプルという町に行くのがいいだろうという結論にいたり、そのゴラクプル行きのバスを歩きながら探す。
で、意外とすんなりバス発見。なかなか幸先のよいスタートだ!
と思いきや、なかなかバスは出発しない。。
どうやら乗客がいっぱいになるまで動かないようだ。まあしょうがない。
1時間ほど待った後、ようやく出発。ゴラクプル目指してレッツ・ゴー!

バスは結構スイスイと進んでいった。
席は狭いけど、眠ろうと思えば眠れるし、思ったほど揺れないし、ネパールとそんなにかわりないじゃんと思っていたら、日が落ちて暗くなり始めた頃、どこかの橋の手前で急にバスは停まった。
ザワザワしながらバスを降りる乗客たち。バスの近くに集まってくるオートリクシャー。

バスのドライバーが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、乗客だった隣のオジさんの訛りまくった英語と周囲の状況を総合しながら10分ほど考えた結果、たぶん以下のようなことを言っていることが判明(たぶん)。
「この先の道に問題があってバスはこれ以上進めない。各自、リクシャーに乗るなりしてゴラクプルへ行くように!」
既に支払っているバス代の一部返却も無いようだ。
意味不明だが、周りのインド人もやむなくオートリクシャーに乗っているようなので、一緒に乗ることにした。
するとバスの乗客だったオバちゃんが猛烈な口調で、「これはバス側の責任なのに、なんで別にお金を払ってリクシャーに乗らなきゃいけないのよ!!」と、ナゼか僕らに向かって訛りまくった英語で抗議してきた。
まあおっしゃるとおりですが、なんでうちらに!?
なんかやりとりするのが面倒臭くなってきていた僕らは、オバちゃんを無視してリキシャーに乗って進むことにした。
あ~、だいぶ疲れてきた。。
橋の上の道には、運動会とかで使われそうな即席のアーチが、ポツンと一つ、何の意味もなさずに空しく立っていた。
たしかに、これだと車高の高いバスは通れない。
しかし、誰が何のためにこんなものを・・・。
ギュウギュウのオートリクシャーに揺られてたら、かなり疲れがたまってきた。もう何でもいいからゴラクプルまで連れてってくれと思っていたら、オートリクシャーは駐車場みたいなところで停車した。
ドライバーは、ここから先には行けないから、サイクルリキシャーに乗り換えてゴラクプルへ向かえと言っているらしい(たぶん)。
またもや別に費用が発生。
もう疲れて歯向かう気力も全くなくなっていた僕らは「ハイハイ、乗り換えりゃいいんでしょ」という感じで、そこら辺にいたサイクルリキシャーに乗り換え、真っ暗な道を突き進んでいった。
で、ようやくゴラクプルの駅前に到着。あ~、長かった。
とりあえず駅の窓口が閉まる前に、明日の切符を買わねばと思い、窓口に並ぶ。

数々の横入り野郎たちを払いのけながら、係員に「別の窓口だ」とか「あそこに並んで用紙をもらえ」とか言われて何回も列を並びなおし、1時間ほど格闘した末、ようやくのことでハジプル行きの切符をゲット。
ハジプルなんて聞いたこともないし、ガイドブックの地図に地名すら載ってないが、そこを経由すればブッダ・ガヤー方面に行けるらしい。ウソか本当かよくわからんが、まあ何でもいいや。
疲れた体を引きずって宿探し。
すると、駅の構内でポカラ→バイラワ間のバスで一緒だった元気な老人に遭遇。
ここからインドの南端トリヴァンドラム行きの列車に乗るらしく、それまでの間ここで時間をつぶしてるようだ。
インドの北端から南端までだから、丸三日ぐらい列車に揺られることになるだろうに、すごいエネルギッシュなジイチャンだなあ・・・。
しばらく立ち話をしていたら、「あんた、カンピュータに詳しそうだね。わたしのカンピュータの調子が悪いんだけど、ちょっと見てくれんかね?」と頼まれる。
カンピュータという言葉が、ノートパソコンのことだとわかるまで10秒ぐらいの時間を要したが、「旅は道連れ、世は情け」ということで(ちょっと違うか!?)、快く引き受ける。
宿を見つけてチェックインした後に、ベッドで横になりたい衝動を抑えて、老人の部屋へと向かう。
明らかに機械音痴そうな老人のノートパソコンは、なかなかの最新型だったが、たしかに処理速度が遅くて調子が悪そうだ。
2~3時間かけて色々といじってみたら、なんとか表面上は処理速度が速くなった。が、たぶん根本原因が不明で潰しきれてないので、また同じような現象が再発するだろう。
というようなことを老人に言ったけど、嬉々として喜んでいる老人は「再発したら、バンガロールの街で修理に出しますわ」と言って聞く耳を持たない。
まあ修理に出しても、OSを再インストールされて、データやソフトが消えてしまうのがオチだろう。
というようなことも伝えたが、僕の言ってることが全く理解できないようだ。
理解させるまで三ヶ月ほどかかりそうだ。どうやらカンピュータの事はさっぱりわからないらしい。
やむをえじ・・・。
「ありがとう」と言って喜ぶ老人から、バナナとパンケーキみたいのをもらって老人の部屋を後にした。明日の朝飯にでもしよう。
宿に戻ると、もう時計は12時を回っていた。あ~、今日はほんと疲れた。。
明日の列車は早朝だし、シャワーでも浴びて寝ようと思ってたら、宿の従業員が部屋にやってきた。
何の用だと思ったら、3時間ぐらい前に宿代として渡した100ルピー紙幣が破れてたから取り替えろと言っている。
インドでは破れた紙幣はどこの店も受け取ってくれないのだが(破れやすい紙なくせに)、それにしても3時間前に渡した金に、今頃イチャモンつけてくるとは。。
もちろん「そんなの知らん。オレは悪くない、気付かないお前が悪い」の一点張りでドアの外に従業員を突き出す。
従業員はドアを5分ぐらい叩き続けていたが、無視していたら諦めて帰ったようだ。
ていうか、もう疲れたわ。今日は長い一日だった・・・。

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