2007年11月29日 の出来事
とりあえずサーメルを探す -アンマン-
ガタガタガタという揺れで目が覚めた。
ぐっすり眠っていたせいで、目が覚めるなりキョロキョロしてしまったが、どうやら飛行機は空港に着陸したようだった。
大きく伸びをしてから、水を一口飲み、時計の針を3時間半戻す。
この1ヶ月、カレーと牛とインド人のあふれる中で生活を送ってきた我々でしたが、今日から新しい文化圏での生活の始まりです。
ここはヨルダンの首都アンマン。
「ヨルダンってどこ!?」って人も多いと思うが、僕らもこの旅に出るまでヨルダンがどこにあるのかはっきりと知らなかった。
正直、世界一周航空券のルートを決めるときも、「一区間分あまったから、じゃあ適当にここ」みたいな感じでヨルダン行きを選んだのだった。
たしかに死海とペトラ遺跡ぐらいしか有名な所がなく、かなり知名度の低いと思われるこのヨルダン。
だけど地図を広げてみると、この国がなかなか興味深い場所に位置していることがわかる。
海に面さないこの内陸国ヨルダンは、北はダマスカスを首都とするシリアに接し、東は情勢が超不安定なあの危険国家イラクと接している。
南にはイスラム最高の聖地メッカを擁するサウジアラビアと接し、西にはイスラム教徒が最も忌み嫌うあのユダヤ国家イスラエルが隣り合っているのだ。

そういうわけで、見所がないと言われるこのヨルダンではあるが、なかなかポジショニングが刺激的で、しかも交通の要所にもなっているため、旅人はけっこうこの国を訪れるようだ。
僕らもこれまで、ヨルダンに行ったことがあるという旅人に何人か出会い、彼らからヨルダンの情報を色々と聞いていた。
「インディー・ジョーンズの舞台になったペトラ遺跡はスゴい!」
「ヨルダンからだとイスラエルに入国スタンプ無しで行ける」
「アンマンでフセインの肖像画入りのイラク紙幣が手に入る」
などなど。
しかしその中でも最も僕らの印象に残っていた情報は、
「アンマンのクリフホテルという所に超親切な従業員がいる」
という話だった。
彼の名はサーメル。
会った人の話によると「中東一、親切で謙虚で献身的な従業員」なのだという。
かつてこれほど有名なホテル従業員を僕は聞いたことがなかった。
世界中で評判にあがるこのサーメルって一体どんな人物なんだろう・・・!?
この話を聞いて以来、彼に会うのがヨルダンを訪れる目的のひとつになっていた。
彼の働くクリフホテルには旅の情報もたくさん集まっているらしいし、日本人の旅行者もたくさん泊まってるみたいだ。
まずはそのクリフホテルを目指すことにした。
空港を出て市街地へ向かうバスを探す。
インドと違って、客引きみたいな輩がガンガン話しかけてこないのはいいのだが(ちょっと寂しいけど・・・)、現地の人に話しかけても、英語が通じず会話が成り立たなくて苦しい。。

どうにかして市街地へ向かうバス停を見つけ、そこで30分ほど待つ。
が、なかなかバスが来ない。40分、50分、1時間・・・、待てども待てどもバスは来ない。
さすがにおかしいと思って、空港スタッフのような人を探し「バスは何時にくるんですか?」と尋ねるが、返ってくる答えは「インシャアッラー」という言葉のみ。
中東でよく耳にする「インシャアッラー」というこの言葉、意味は「神のみぞ知る」だそうです。
さらに待つこと数十分、神のみが知る時間にようやくバスがやってきた。
インドのバスに慣れてしまっていた我々、バスに乗り込むと、その乗り心地のよさと清潔な車内の様子に、夫婦揃って感嘆の声をあげてしまった。
あらためてインドと違う国に来たんだという実感がこみ上げる。
西アジア編のスタートだ~!!
1時間ほどすると、バスは大きなバスターミナルへと到着した。どうやらここが終点らしい。
「どこにいくんだ?」
タクシードライバーがバスを降りる僕らのほうへ駆け寄ってきた。
金がかかるし、精神的な怠け者になってしまうので、タクシーは極力利用したくないのだが、ガイドブックも地図も無く、クリフホテルの住所だけが頼りのヒヨワな僕らは、やむをえずタクシーに乗ることにした。
幸いドライバーもクリフの場所を知っているようだった。
途中、なぜかドライバーの友達らしき人物が乗ったり降りたりしていたのが意味不明だったが、ほどなくしてタクシーはクリフホテルの前に到着した。
タクシーを降り、とりあえず周囲を見回してみる。
僕の思い描いていたアンマンは、茶褐色の建物が並ぶ中をヒゲをたくわえた恰幅のいいオッサンたちが闊歩する、あまり都会っぽさを感じさせない街というイメージだったが、そのイメージはそう間違ってはいないようだ。

パッとするかパッとしないかと聞かれたら、後者のほうだと答えてしまいそうなそんな街だった。
アザーンが鳴り響く中、細い路地を進み、どこにでもある安宿という感じのするクリフホテルの扉をくぐり、チェックインして部屋へと入った。

が、従業員といえば、気の強そうなオーナー風の男と、腰の曲がりかけた老人の二人だけ。
どうやらサーメルはいないようだった。
日本語で書かれた貼り紙や日本語の本はいくつか置いてあるようだが、日本人客がいるような気配もない・・・。
おかしいなあと思いながら、ちょっと一息ついた後、談話スペースにおいてあった情報ノートに目を通した。
すると、
「サーメルは2007年の9月にコーダホテルという宿へ移りました。これまでに書かれた情報ノート等もサーメルと一緒にそっちの宿に移動してます」
ということが書かれていた。
ガ~ン、そういうことだったのね。。まあいいけど。
どおりで日本人の姿が見えないわけだ。明日からそっちの宿に移ることにしよう。
それにしても「コーダホテル」ってなんか変な名前だな・・・。
コーダ、香田・・・、んん・・・?
頭の中に何かが浮かんできそうな感じがした。この中東の雰囲気とコーダという名前がなんとなくリンクするようなしないような、そんなつかみどころの無い感覚。
色々と考えをめぐらせてみたが、どうも睡眠不足と時差ボケの頭には荷が重すぎたようで、けっきょく何も思い浮かばないまま、夕方前には床に入って寝てしまったのでした・・・。

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