2007年12月15日 の出来事
世界一の街 -プラハ-
ヨーロッパには朝食付きの安宿が多い。
当然宿代にその分の金額が反映されているのだから、別に得しているわけでもないのだが、朝起きてすぐにちゃんとした朝食が目の前に並ぶというのは、やはり気持ちいいものだ。
ここの宿でも例のごとく朝食が出てきた。
サンドイッチとコーンフレークという平凡なメニューだが、食べ放題だし、コーヒー・紅茶に加えて牛乳も飲み放題なのが嬉しい。
こういうときは、ここぞとばかりに食いまくり、補給しまくるのが長期旅行者の悲しいサガ・・・。食いすぎて重くなったお腹をさすりながら、お昼用にサンドイッチを2包みほどバックの中にしまいこんで、地下鉄に乗ってプラハの街へと繰り出した。

3ヶ月ほど前、雲南省を旅していたときにチェコ人の老夫婦と仲良くなったことがあった。
まあ普通の老夫婦って感じの二人だったのだが、なかなかフレンドリーで感じのいい人たちだったため、「プラハは素敵なところらしいですね」みたいなことを多少の世辞もこめて語りかけた。
すると、彼らは彫りの深いその顔に笑い皺を何本も寄せながら、
「プラハはヨーロッパ一、いや世界一美しい街だから、絶対に行ったほうがいいよ!」
という言葉をサラッと返してきた。
これだけ自信満々に自国の都市を推してくるってのもスゴイなあ、さすがは欧米人、とその時は思っていたのだが、実際プラハの街を散策してみて、彼らの表現が決して大げさなわけではなかったということを実感した。
本当にものすごく美しい街だなあと思った。
街自体の美しさでいえば、僕らがこの旅の中で見てきた中でもダントツの一位。なんと表現したらよいのかわからないが、街全体が芸術品そのもののような、それほどの美しさを放つ街だった。
自分の子供を芸術家にしたい場合は、この街で育てれば一番手っ取り早いかもしれない、とふと思った。

引き寄せられるように石畳の道を歩み進め、モルドヴァ川のほうへ向かう。
土産物屋や雑貨屋が軒を連ねる広場や道を通りながらしばらく歩くと、川にかかるカレル橋にたどりついた。対岸に見えるプラハ城を眺めながら、ホットワインを口にする。
冬でもこんなに美しいのだから、春になったらもっと素晴らしい景色に出会えるんだろうなあ・・・。
1960年代末、共産主義システムに深く覆われていたこの街で、知識人たちによる自由化運動が起きた。東西冷戦構造の中で起きた市民たちによる反乱。
結局この運動はソ連軍の軍事介入により弾圧されてしまうのだが、後のゴルバチョフの政策にも少なからず影響を与えたそうで、現代史におけるかなり重要な出来事として位置づけられている。
この運動は「プラハの春」と呼ばれている。
この事件をリアルタイムで経験したわけではないし、もちろんチェコやプラハについて詳しく知るわけではないので、当時、具体的にどんな出来事が起き、どんな雰囲気が街を包みこんだのかはわからない。
ただ、ある一人の芸術家が、冬のカレル橋とプラハ城をぼんやりと眺めながら、この「プラハの春」という名前を思いついたんだったら、それはとても素敵なことだなあと思った。


一通り街を散策して宿へと戻る。
さすがに5~6時間も歩いていたら普通に疲れるものだ。夕飯を自炊して食べ終わると、ベッドの上で知らぬ間にウタタネしてしまっていた。。
夢の中に美しいプラハの街が現れる。教会、広場、川、橋、石畳の道・・・。とても幻想的で夢のような世界が広がっていた。
夢・・・!?
目が覚めると、いま見ていたのが夢だったのか、ただの頭の中での想像だったのか区別がつかなかった。
まあとにかく、ベッドから体を起こすと「プラハの夜景を見に行きたい!」という衝動に駆られたのはたしかだった。
疲れてグッタリ状態の嫁を宿に置いて、一人で再び夜のプラハの街へ足を踏み出した。
夜のプラハはやはり素晴らしかった。
クリスマスも近いため、街全体がライトアップされていてとても美しい。本当に夢の中にいるような気がした。
有名な時計塔の前に行くと、夜遅くにも関わらず大勢の人が集まっていた。
午後10時を告げる鐘の音とともに、時計の針の横からカラクリ人形が顔を出す。
「これだけの観光名所なのだからすごいものが見れるんだろう」と少し期待して見に来た人には、幾分拍子抜けするほど人形たちはアッサリと現れ、アッサリと引っ込んでいった。
まるで人形たちが恥ずかしがってるみたいに思えてきて、一人でちょっと笑ってしまった。


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