2007年12月19日 の出来事 |
百年の歴史 -アウシュビッツ→ブダペスト-
今日はなんとか早く起きれた。
寒くて外に出たくないが、ダラダラしてばかりはいられない。宿をチェックアウトして荷物を預けて外へと飛び出す。
案の定、寒い・・・。
軍手の隙間から寒風が入ってきて手が凍りそうだ。
「そろそろ軍手じゃなくて普通の手袋買わない?」と嫁に相談したが、「あたしだって寒いんだから弱音吐かないでよ!」と意味不明な反対意見を言われて諦めた。東北出身だけに、僕よりは寒さに強いのだろうか・・・。

トラムに乗ってバスターミナルへと向かう。
途中、またもや切符検査官(今度はホンモノ)がやってきて、切符をチェックされた。
今回うちらが買ってたのは学生用の安い切符だったため少し焦ったが、「これが学生証だ!」と言って日本の免許証を見せたら、罰金を払わずに押し切れた。
危なかった・・・。すみません、もう懲りました。。
そんなこんなで時間を浪費し、当初予定していた便に乗れずに、一本遅れの小さなバスに乗り込んでアウシュビッツへ向かうこととなった。
雪景色の中を一時間半ほど走ったところで、バスはゆっくりと道の脇に停車し、ドライバーの「ムゼウム」という声とともに、何人かの乗客が腰を上げ始めた。
ムゼウムとは、ミュージアム、つまり博物館のことだ。アウシュビッツ博物館。
「いよいよ来たな」という感じで大きく息を吐きながらバスを降り、寂しげな雰囲気の漂う小路を歩み進める。
アウシュビッツ・・・、言うまでも無くかつてナチスの強制収容所があった「人類の負の遺産」と言われる場所だ。150万人もの人たちがここで虐殺されたといわれている。
博物館はその収容所の跡地に建てられていた。
建てられたというよりも、収容所の施設自体が博物館となっていて、その施設内に展示物が飾られていると言ったほうがいいかもしれない。そんなちょっと不思議な博物館だった。
入口をくぐると、有名なゲートが見えてきた。

「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば自由になる)
やはりBの文字が逆さになっていた。
これは、強制労働の一環としてこのゲートを作ることを指示された囚人たちによる、ささやかな抵抗だったと言われている。たった一文字を逆さにすることによる、とても小さな抵抗。
当時、もしこの事実が見つかっていたら、その囚人たちは間違いなく殺されていたことだろう。彼らは自らの命をかけて、この一文字をつくりあげたのだった。

さらに足を進め、白い雪が屋根につもる収容棟の中へと入り、展示物を見て周る。
大量虐殺に使用された毒ガスの空き缶、虐殺された人々のトランクや食器、毛髪や眼鏡、松葉杖や義足・・・。
そういったものが大量に展示されていた。


これだけ圧倒的な量の品々が雑然と置かれている様を見たのは初めてだった。スーパーの陳列棚とも違うしゴミ捨て場とも違う、そんな不思議な雑然さで生気を失った品々はガラスケースの中に悲しく展示されていた・・・。
銃殺に使用された「死の壁」や絞首台、焼却炉、ガス室などを見て周った後、ここから2キロ離れたビルケナウへと向かう。
アウシュビッツ第二収容所と称されるビルケナウは、三百以上の収容棟を持つ広大な収容施設だ。当時の建造物や内装がそのままの姿で残されており、一般的に映画のスクリーン上に映し出されるアウシュビッツの姿は、このビルケナウで撮影されたものだと言われている。
ビルケナウに着いて最初に目に入ったのは、一本の線路だった。

雪の中に長い一本の線路が伸び、白い荒野を抜けた奥のほうでそれは途切れていた。ナチスに捕まり、シートも暖房も無い木造列車に揺られて囚人たちがたどりつく終着駅がここだったという。
ビルケナウでは、囚人たちが寝泊りしていた狭苦しいベッド、穴だけがズラーッと並べられたトイレ、証拠隠滅のためにSS隊員らに破壊されたガス室の跡などを見学した。

今回、アウシュビッツ(ビルケナウ含めて)を見て周って感じたことは、(表現に語弊があるかもしれないが)ここには強烈なメッセージ性が無かったいうことだった。
「こうすべきだ」、「こうあるべきだ」といった主観的メッセージはほとんど見当たらなかった。あくまで事実が事実として語られ、そこには純粋な客観性が貫かれていたような気がする。
先日読んだ本の中に「歴史は百年経ってから初めて正当に評価され始める」といった記述があった。
日露戦争に関する文章だった気がするが、著者の意図するところは、歴史的事実は、どうしてもその事実を取り巻く権力構造、しがらみ、固定観念などのために捻じ曲げられ歪められて認識されるものであり、それらが無くなって純粋に評価されるには百年ほどの時間が必要だということであった。
そう考えると、60年、70年ほどの時間しか経ていないこのアウシュビッツは、まだ正当な評価がなされていないわけであり、現代社会において一般的に考えられているような認識(例えば「ナチスドイツ=悪」的な)は数十年後にはとても陳腐なものに変わっているのかもしれない。
そういう意味では、この客観性が貫かれたアウシュビッツは、非常に普遍的な施設であるかもしれないと思った。
アウシュビッツは、見る者にメッセージを強いるわけではなく、見る者に様々なことを考えさせ想像させる。もしかしたらその「自ら考え、想像せよ」というのがアウシュビッツの持つ唯一のメッセージかもしれない。
もちろんその人の知識や経験、偏見や信念、置かれた状況により、そのイメージは様々に異なってくる。
教科書に記載された歴史事実、NHKの戦争記録番組、貿易センタービルに突っ込む飛行機の映像、嘆きの壁で泣き崩れていたユダヤ教徒、パレスチナで見た巨大な壁、目の前に降る白い雪・・・、そうした雑多なものが入り混じって、僕の目の前にも僕なりのアウシュビッツの姿が広がっていた。

クラクフへ戻るため、バス停へと向かう。
途中、底抜けに明るい表情を顔に浮かべながら大声で騒ぎ歩いている若者たちの姿が目に入った。彼らはイスラエルの国旗を掲げていた。
彼らの目には、果たしてアウシュビッツはどのように映っているのだろうか・・・。
バスの往復切符を買っていたにもかかわらず、帰りの分の切符をなくしてしまったため、ムダに切符を買いなおしてクラクフへと戻った。アホくさ・・・。
クラクフに着くと夜行列車に急いで飛び乗り、ブダペストへと向かった。
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