2008年2月 9日 の出来事 |
ラスタ村へ(2) -シャシャマネ-
「ここがナイアビンギ教会だ。入るぞ。」
バイタクから降りた悪ガキは、目の前の壁の向こう側を指差しながら、僕らに向かってそう言った。
逃げるか…。
一瞬そう思ったが、こんな辺鄙な場所からどうやって逃げればいいのか方法がサッパリ思い当たらなかったし、逃げたところで、あっという間に悪ガキの仲間たちに取り囲まれてしまうに決まっている。
タメ息をつきながら空を見上げると、動物園でしか見たことないような大きな鳥が飛んでいた。
コイツの言うことに従うしかないか…。

「入場料はかかるのか?」と聞くと、悪ガキは「オーケー、オーケー」と、返事にならない返事を返してきた。
一応、「お前にお金を払うつもりもないし、入場料も払うつもりないから!」と念を押してみたが、悪ガキはクギを刺されたヌカドコみたいに僕の言葉をユラリとかわし、「オーケー、オーケー」と言いながら、ナイアビンギ教会と呼ばれている敷地の中へと入っていった。
んんん…。
バイタクのドライバーに「頼むから、帰らずにここで待っててくれ」と告げ、悪ガキに続いて中へと入る。
門をくぐると、10メートル四方の庭のような空間が広がっており、その庭の先のほうにラスタカラーでペイントされた平屋の建物が見えた。
庭の横半分には、高さ1メートルぐらいの垣根のようなものに囲まれた、壁の無い屋根付きの小屋があった。垣根と屋根との間から中の様子が見える。
「ここでミサが開かれるんだ」
悪ガキは、小学校の校庭にある相撲場みたいな感じのその小屋を指して、そう言った。
嫁は相変わらずビクビクした顔付きで、「早く帰りたい」という表情を顔一杯に浮かべていたが、僕はその小屋の様子を見て、ほんの少し安心した。
というのも、その小屋の外観が、以前に写真で見たことのある、ラスタ村の教会の様子とソックリだったからだ。
「この悪ガキも、普通に案内してくれてるだけなのかも…」
そんな気持ちが芽生えそうになってきたとき、後ろのほうから、ガタンという音が突然聞こえてきた。
気になって振り返ると、NBAの選手のように超ゴツくてデカい、サングラスをかけたドレッドヘアーの男が、入口の門をユックリと閉めているのが目に入ってきた。
サングラス越しに、その男と目が一瞬あった気がしたが、本能的に思わず目を伏せてしまった。
「金とカメラは取られてもしょうがないけど、アイツにボコられるのだけはイヤだ…」
悪ガキに言われるまま、庭の奥にあるラスタカラーの平屋の建物に入る。
建物の中は、教会というよりも普通の住居のような雰囲気だった。10畳ぐらいの部屋の中に、絵や写真などが飾ってある。
ミュージアムと言うにはあまりに展示物が少なかったが、悪ガキはこの部屋のことを「ミュージアム」と呼んだ。
ほどなくして、部屋の奥から一人の人物が現れた。
巨漢の体をユッタリとひきずりながら部屋の中央までやってきたその人物は、トローンとした目をこちらに向けて、低く太い声でこう言った。
「ハロウ…」
こんなに焦点があっていない、ボンヤリとした人間の目を見たのは初めてだった。右目と左目の均衡がまったく保たれていない。
右手と右足、左手と左足を一緒に振りながら大行進している兵隊たちのパレードを思い起こさせるような、そんな幻想的で不思議な顔だった。
ラスタカラーに身を包み、黒い肌に立派な白いヒゲをたくわえた長老のようなその人物のことを、悪ガキは「ママ」と呼んだ。

染み付いたような香ばしいあのニオイと煙がウッスラと立ち込める部屋の中、悪ガキは「何かママに質問はないか?」と聞いてきた。
が、ママの存在感に圧倒されて、質問がまったく頭に浮かんでこない。心臓の高鳴りはだいぶ収まっていたが、僕の頭の中の混乱の度合いは深まっていくばかりだった。
「今日のミサは何時から?」
ママの不思議な雰囲気に親しみを覚えたのだろうか、さっきまで黙りこくっていた嫁がママに対して声をかけた。
そうだ、ミサに参加するためにここに来たんだった。
するとママは相変わらず低く太い声で、ユックリとこう答えたのだった。
「ノー、トゥデイ…」
どうやら今日はミサは無いらしい。今日はミサが開催される土曜日のはずだが、ママが無いと言うんだから無いんだろう。
ちょっと残念ではあったが、もうこの場にいる理由が無くなったことで、正直かなりホッとしている自分がいた。
もう少しママの観察を続けたい気持ちもあるが、やはりこの封殺されたような状況を一刻も早く脱したかった。
悪ガキに「じゃあ、帰るから」と告げ、嫁の手を引いて足早に部屋を出ていく。
しかし、門の前にはさっきのNBAドレッド男が立っていた。
そして、案の定、「入場料を払え」と言ってきたのだった。
んんん…。
一応、悪ガキに向かって「さっき入場料払わないと言ったよな」と声をかけてみたが、僕の言葉はまた、悪ガキのヌカドコの中にブニュブニュっと意味も無くヌメリこんでいく。
僕の顔をフンッと言いながらつぶしてしまうことができるほどの巨大な黒い手の平をこちらに差し出して、NBAドレッド男は太く低い声でこう言った。
「10ブル」
意外にも入場料は安かった。
法外な金を要求してくるかと思っていたが、請求されたのは10ブル(約120円)。普通の入場料って感じの値段だ。
まあ何でもいいや。とりあえず二人分の20ブルを黒い手の上に置いて、そそくさと門を出る。
門の前には、バイタクのドライバーが立っていた。
ぜんぜん期待していなかったが、ちゃんと待っててくれたようだ。
「早く、早く、逃げよう」
泣きそうな声を出しながら焦りまくりの嫁をなだめ、ゆっくりとバイタクに乗り込む。よし、後はシャシャマネの町へ戻るだけだ。
しかし…
バイタクのエンジンがブルルンと音を立てて出発しようとしたとき、悪ガキが門から顔を出し、「待てよ!」と言いながら近づいてきた。
そして、あっという間に、バイタクの横側の棒をつかみ、体を横乗りさせてきたのだった。
「オレにガイド代をよこしな!」
やはりコイツには下心があったようだ。タダで案内するわけがないと、はじめから思ってはいたけれど。
ただ、この悪ガキがやたらとニヤニヤしていること、そして本当に教会に案内してくれたということ、さらに要求してきた金額が30ブル(約360円)だけだったということで、ちょっと安心したのは確かだった。
カメラを奪おうとしているわけでもなく、暴力をふるおうとしているわけでもなく、欲しいのは30ブルというお金だけなのだ。
とはいえ、できることなら金を払いたくないし、そもそも払う筋合いはない。出会ったときから「金は払わない」とさんざん言いまくってるのだ。単なる金の問題だけじゃなくて意地の問題もある。
というわけで、ムシ。
そのうちあきらめて、バイタクから降りるだろうと思ってムシを決め込む。
が、悪ガキはしつこく金を要求してくる。
それに対して嫁はひたすら、払いのけるようにして手をバタバタさせながら、壊れたオモチャみたいに「ノー、ノー!」と言い続ける。
そんなやりとりがしばらく続いた後、バタバタする嫁の手が軽く悪ガキの体に当たり、バイクの横側の棒につかまってバランスを取っていた悪ガキの体がバイタクから落ちそうになってヨロめいた。
そして次の瞬間、その場の空気が一変した。
「オレを本気にさせる気か…?」
その言葉とともに悪ガキの口元のニヤニヤは消え、目つきが豹変した。
死神のような残酷な目つきに変わった。
さっきのママのトローンとした目とは対極にあるような、激しく鋭い、刺さるような目つきだったが、その「異様さ」という点はお互いに共通していた。
そしてその右手は、ポケットの中にあるナイフらしきものをつかんでいるようだった…。
やばい!!
とっさに財布から30ブルを取り出して悪ガキに渡し、ドライバーに大きな声で「ゴー!」と言っていた。
悪ガキはお金を受け取ると、軽く舌打ちをしながらバイタクから離れ、そしてそれ以降追いかけてこなくなった。

バイタクがシャシャマネの町へ到着するまでの間、隣で嫁がずっと泣いていた。相当、怖かったのだろう。
しかし冷静になってよくよく考えると、有料とは言え、悪ガキも普通に案内してくれただけのような気もするし、まあタチは悪いけど、そこまで酷いボッタクリではなかった気がする。
「ラスタ村は危ない」という先入観のせいで、ムダに恐怖を感じてしまった点があったのは否めない。
でもまあ、さっきの悪ガキの目つきは本当に凄かった。あのまま拒否し続けたらどうなっていたんだろうか…。小遣いみたいなカツアゲ程度で済んでよかったと言うべきかもしれない。
今回の件は、反省すべき点がかなり多かったし、これからは色々と気をつけよう…。
このバイタクのドライバーにも感謝しなきゃ。
ドライバーに握手しながら礼を言い、シャシャマネの町に降り立つと、足がちょっとフラフラするような気がした。

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