2008年3月 7日 の出来事 |
3つの選択肢 -タンザン鉄道-
早朝6時、フェリーはダルエスサラームの港へと到着した。
東の地平線から昇り始めた赤い太陽に照らされてホンノリと明るく色づき始めた港には、早朝にもかかわらずたくさんの人々が右へ左へと往来し、生活の息づかいを感じさせる暖かな光景が広がっていた。
夜行フェリーの中はエアコンが効き過ぎててちょっと寒かったが、でも昨晩は日本人5人で楽しい夜を過ごすことができた。
ソファーだけでなくマットレスみたいなやつもフェリーに備えられていて、けっこうグッスリ眠れたし、まあ悪くない船旅だったと思う。

今日からタンザン鉄道に乗ってザンビアへと向かう予定だ。
前にも書いたが、タンザン鉄道とはタンザニアのダルエスサラームから、ザンビアのカピリムポシという町を結ぶ、全長1,859キロの国際鉄道だ。
中国の支援の下で1975年に完成したこの鉄道は、内陸国ザンビアが自国で産出した銅鉱石をタンザニアへ運ぶために作ったものだと言われている。
当時、南アフリカと仲が悪かったザンビアは、外洋とつながるためのルートをなんとかして確立するために、この長大なタンザン鉄道を作り上げたそうだ。
タラタラと進むこの鉄道に3日間乗り続けることになるわけだが、でもこれに乗ってボケーッと揺られていれば、アフリカ大陸の東端から南西方向へ向かって、かなりの距離を進むことができる。
エチオピアからここまで1ヶ月ほどかけて移動してきた距離を、ほんの3日間で進むことができるのだ。
アフリカ的に考えると超画期的!
それに、アフリカの大自然を車窓から眺めることもできるわけだし、列車に乗って移動すること自体もエジプト以来で久しぶりだし、楽しみといえば楽しみだ。

というわけで、まずは駅へ行って切符の確認。
「ザンジバルで予約いれてた者ですけど」と窓口で駅員に話しかけると、怪訝そうな顔をしながら駅員は紙を差し出してきて、それに名前を書けと言ってきた。
その紙には座席番号と人の名前が記載されており、どう見ても列車の予約表のようだった。
が、事前に予約していた僕らの名前はどこにも無し。。
ザンジバルで取ったあの予約はなんだったんだろう。予約手数料まで払ったのに・・・。
まあ席が空いてたからいいけどさ。
長旅になるので、奮発して60,500シリング(約6,050円)する1等列車の切符を購入し、駅員に言われるまま、たくさんの筆跡であふれたそのヨレヨレの紙の上に、自分たちの名前をスラスラと書き記した。

町に戻ってちょっとスーパーで買出しなどをした後、昼過ぎに再び駅へ。
コイタビ夫婦、世界旅カップルと一緒に、中国チックな雰囲気あふれるタンザン鉄道の車両へと乗り込んだ。

列車は案の定、ガタガタと揺れまくったが、しかし車窓からの眺めはなかなかのものだった。
アフリカの緑の風景が、窓の外にどこまでもどこまでも広がっていた。
たまに感じる「思えば遠くに来たもんだ」的な感覚を呼び起こしてくれるには十分なほどの、旅情感たっぷりな景色がそこには広がっていた。
まあ欲を言えば、動物とかたくさん見れるのかなあと思っていたけど、ほとんど目撃できなくてちょっと残念。見れたのはインパラと猿ぐらいかな。
キリンや象の群れを見たって人もいたけど、そこらへんは運しだいってとこなのかもね。
まあとりあえず、悪くない移動なことはたしかだった。

がしかし、嫁の部屋(コンパートメント)で問題が発生した。
この列車では、男女は別々の部屋で寝ることになっている。
こっちのコンパートメントは男部屋、こっちのコンパートメントは女部屋と明確に分けられており、切符にもそれに基づいた座席番号が記載されている。
こういう男女別々みたいな決まりごとを目の当たりにすると、僕は逆に「エロっ!」と感じてしまうのだが、まあ諸国いろんな事情があるのだろうから、それはそれでしょうがない。
といっても、まあ日中は男女が同じ部屋の中にいても問題ないので、夜寝るときに別れればいいだけの話だ。
問題が発生したのは、夜、嫁が自分の部屋に戻ったときだった。
その部屋にある4つの寝台が、全て知らない欧米人女性に占領されており、嫁が横になれる場所が残されていなかったのだ。
切符を見ても明らかにそこは嫁の部屋なので、欧米人女性のうち誰か1人が勝手に嫁の場所に居座っているようだった。
4人とも仲良さそうなので、たぶん友達同士なのだろう。予約時に3人だけが同じ部屋になってしまったので、もう1人が自分の部屋を抜け出し、ここの部屋にやってきたということなんだと思う。
「あの、私もこの部屋なんだけど・・・」
嫁がそう切り出すと、そのうちの1人の恰幅のいい女がズケズケと前のめりで嫁の立っている入口の所までやって来て、ヒラリー・クリントンみたいな口調で、こうまくしたて始めた。
私の部屋は別の車両なの。
だから私は友人と一緒になるため、ここにやってきた。
私はここから動かないし、動きたくない。
でも、あなたには3つの選択肢があるわ。
別車両にある私の部屋に行って寝るか、
あなたの夫の部屋で一緒に寝かせてもらうか、
それとも乗務員に別の部屋を用意してもらうか。
どうする?
嫁の後ろでその話を聞いていて虫酸が走った。
全く耳を疑うような欧米列強的な発言を悪びれもせずにペラペラと語りだすこのヒラリー女に、200発ぐらいオナラをかましてやりたい気分になった。

当然のように反論を試みる。
が、僕の拙い英語力ではこの強面女に歯がたつわけもなく、あえなく敗北。。
でも引き下がるわけにはいかないので、列車の乗務員を連れてきて、僕らの正当性を理解してもらい、その女にこの部屋から出て行ってもらうように言ってもらった。
が、乗務員もこの女に圧倒され、そそくさと退散。おいおい・・・。
かつての帝国主義時代を髣髴とさせるこの由々しき事態に、なすすべも無く立ち尽くす我々。
と、僕の同部屋のイブラヒモビッチ似のスウェーデン人男性が僕らの事情を理解してくれたらしく、流暢な英語でそのヒラリー女と交渉を始めてくれた。
ペラペラペーラと聞き取れないほど高速な英語で、論理的かつ紳士的に粘り強く話を進めていく彼。
がんばれ、イブラヒモビッチ!
10分ほど話し合いは続いた。
・・・で、最終的にヒラリー・クリントンが別車両の自分の部屋へ戻るということで合意。
おー、スウェーデン人素晴らしい!北欧万歳!
日本に帰ったらIKEAの家具でも買わせていただきます。
まあそんなこんなで、どうにか寝床を確保できた我々は、ガタガタ揺れまくったり、急にガガガと停車したりするタンザン鉄道の列車の中で、1日目の夜をなんとか無事に過ごすことができたのでありました。

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