2008年5月 5日 の出来事 |
農協で買物 -イグアス移住区-
国境から41キロのエリアに広がるイグアス移住区。
ここは「超」がつくほどの田舎だ。
バスが走っている国道を除くと、道はだいたい赤土の未舗装道路で、歩いていても、背の高い建物はまったく見かけないし、人の姿を見かけることもほとんどない。
耳に入ってくるのは、風の音か、鳥のさえずりか、虫の鳴き声。目に入ってくる色は、空の青と、雲の白と、土の赤茶と、草木の緑だ。
これまた「超」がつくほど気持の良い、そしてなんとも美しい自然の風景がここには広がっている。

ペンション園田から赤土の道を5分ほど歩き、農協のスーパーの前まで行ったところで、ようやく人の姿を目にすることができた。
買物帰りなのだろうか、その年配の女性は手に重そうなビニール袋を提げていたが、僕らのことに気が付くとすぐに「こんにちは」と挨拶をしてきたのだった。
その言葉は「ハロー」でも「オラ」でもなく、日本語の「こんちには」であり、そしてその女性の顔立ちも完全に日本人だった。
この地に日本人が移り住んできたのは、今から50年近く前の1961年のことだ。
入植してきた14家族の日本人たちは、濃密な原生林に包まれていたこの地を人力で切り開き、粗末な仮小屋に住みながら耕地開拓に明け暮れ、農業を行うことができるような土地、人が暮らすことのできるような集落をこのイグアスの地に築き上げた。
その後、様々な逆境に苦しめられながらも、彼らは持ち前の勤勉さと忍耐力、そして努力によってそれらの苦難を乗り越え、このイグアスで農業を発展させ、そして独自のコミュニティを作り上げていった。
現在では、この地に800人を超える日系人が住んでいるという。
大豆をはじめとするイグアスの農産物は、パラグアイ国内にとどまらず、海外からも高い評価を得ており、日本を含む外国へ向けて盛んに輸出がなされているそうだ。
そのビニール袋を提げた女性に「こんにちは」と返すと、日本の田舎で暮らす人々がそうするように、その女性も軽く頭を下げながら、穏やか表情でイヤミの無い小さな笑顔を僕らに返してきたのだった。
日本風の家屋や町並みが広がっていたサンパウロのリベルダージとは全く趣きが異なるが、しかしこのイグアスもまた日本人が数多く住む日本人コロニーであり、日本の暮らし、日本の文化が息づく、温かい和の空間であることは間違いなかった。

農協のスーパーには、新鮮で土のニオイのする野菜とともに、イグアス産の大豆で作られた味噌や納豆が売られていた。
もちろんたくさん購入し、園田に戻ってそれらを使って自炊をした。
炊飯器で米を炊くのはブダペスト以来だったので、ちょっと作るのに手間取ったけど、でも素材が良いだけあって、すごく美味しい料理を作ることができた。
自然あふれる環境の中で食べる、自然の中で育てられた素材を使った料理。
いやあ、ほんと素晴らしい。

それにしても、これほどノンビリすることが気持ちよくって、贅沢に感じられる場所っていうのは、世界中探してもそうないんじゃないだろうか。
自然はあふれてるし、静かだし、宿は居心地がいいし、飯は美味いし、物価は安いし、人々は温かいし、そして全体的に懐かしい日本的な空気が流れてる。
ここにいると、本当に心が癒され、ホッコリしてしまう。
アフリカとかで出会った人が皆、口をそろえて「南米は良いよ」と言っていた意味が、早くもわかったような気がする。
南米の旅はまだまだ始まったばかりだけど、しばらくここでノンビリしてたいな・・・。

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